昔の事を思い返してみようと。

小さい頃から絵を描くのが好きだった。

母も描くのが好きでとても上手くよく描いて居たから、物心付く頃には既にお絵描きが好きだったのは母からの遺伝かな。

保育園の頃は、お絵描きの時間が大好きだった。
その頃の家族写真集の中には、おそらく両親や妹や自分を描いた人物像の絵が、壁中に沢山貼られた写真が残っている。

なのに、何故か私の保育園児の記憶では、上方に暖色の太陽を、その下の底辺には大きく小さくお花を幾つか描いて居た絵が、強く記憶に残っている。

お花の絵は、本当に昔から、色んな花を描いた覚えがある。小学生に上がってからは特に、低学年位以降ずっと子供用植物図鑑や実物の記憶を頼りに描いてた。
バラの花びらの重なり方を美しく正確に描くのが難しかったなぁ。

漫画を読むように成ってからは、少女漫画には背景の雰囲気として花がよく描かれるので、その美しさに憧れて、複雑な花の絵も真似して描いてた。芍薬とか牡丹とか。

CLAMPさんの漫画「リグ・ヴェーダ」(インド古典)や「春香伝」(韓国の超人気作品)、その他作品の中華風や日本文化でよく描かれて居た気がする。その影響も有ったと思う。

ちなみに自分のツボである、日本の神代から続く伝統衣裳等の文化を始めとした、東アジアの古代から続く装飾文化全般・各アジアとロシアの間に挟まれて、点々と存在する少数民族(意外と顔が日本人似)の伝統衣裳。それらが好きな発端・原初も、CLAMPさんの影響だと思う。

話がそれた…、お花の話に戻る。

芍薬は、昔から家の庭に植えられていて、毎春美しく咲き誇り、家の生け花にも成っていたので特に印象深く、なんなら郷愁にも近い思い入れが有る。

狭くて庭も無いこの家には連れて来られなかった、幼少期から共に育ってきた芍薬を、今でも懐かしく愛しく思う。
もう、多分二度と出会えないのが寂しくて悲しい。

同じく、ヒメヒマワリも懐かしい。母が「好きな花」と言っていたので、余計にでも好きに成る。成った。

葉っぱや茎に白い産毛が生えて居て、緑が白っぽく見えるのが可憐で、好きだった。控えめな小ぶりの花ながら、通常のヒマワリと同じく黄金色の花びらを着けて居るのが、好きだった。

あのヒメヒマワリにも、もう会えない。寂しい。いつかまた会いたい。
生け花も良いけど、夏の土の上に確りと可憐に植わったあの姿に、もう一度会いたい。

夏生まれだから、見上げるほどに高く育つヒマワリも、正に夏の花!太陽の化身!と言う風に生きている様で、好きだった。今も勿論。

こちらは、道の植え込み替代わりに夏場に植えられてる場所が多いので、今でも夏が来る度に、低身長な自分は見上げながら懐かしく、目を細めて仕舞う。

…ヒマワリ、ヒマワリ言うてたら、ヒマワリがゲシュタルト崩壊起こして来たぜ…。
そして「日回り・日廻り・日周り(ヒマワリ)」なんだな、と、昔の人のネーミングセンスの余りの素直さと観察眼に脱帽した。


母が「馬を描くのが好き。難しいけど(難しいから?)好き。」と言っていたので、速攻影響受けて、一時期お馬さんの絵をよく描いてた時期も有ったな。
関係ないけど伊勢神宮のインスタによく上がる「笑智(えみとも)号」(神馬)が非常に穏和なお顔で賢そうで、可愛らしい。


両親は早く去ってしまった。だから昔からほのかに願っていた絵の道は当然(経済的に)断念した。


でも、漫画が好きだったから、小、中、高校生の時は好きな漫画のキャラを描いてた。
特に、友達共々ハマった漫画・流行っている漫画を、絵が好きな友達同士で色んなキャラクターを描いたりしてた。

中&高校生は吹奏楽部だったから、練習の合間に、余った楽譜や不要になった楽譜のウラに、各々好きなキャラクターの絵などを描いて、見せ合って居たな。練習しろ。してました。

ずっと練習し続けてたら唇が金属製のマウスピースと前歯に挟まれて、唇中央が、しにそうに成るんだよう!!休憩挟まないとぉ!

ちなみにトランペットだったから金管の友達と仲が良く、特にホルンの子とは仲良かったなぁ。この子とよく絵を描いてた。練しry…してましたっ。

短大に上がっても、寮に入ってたから、単行本とか週刊少年ジャンプとかを回し読みしていた。
楽しかったなぁ。あの頃も、みんなでハマった好きな漫画のキャラを描いて寮内や学校内で見せ合ってたな。

私は保育科だったけど、国文科の友人が寮内の親友だったから、彼女と一番よく絡んでた。
ちなみにその子は超絶ゲーマーでもあったので(多分当時の寮内随随一)彼女の影響でファミコン以来離れていたゲームに戻ってきた。

彼女は、学校の単位を何一つ落とさずに、尚且つバイトのシフトめっちゃ入れて、稼いだバイト代をゲームに全突っ込みしてた。有る意味尊敬する。

その親友のお蔭で、寮内の同級生の友人数人で共用するプレステ2が有り、対戦型アクションバトルで戦ったり、ダンスダンスレボリューションの床に置いて踏むコントローラー(正式名称存ぜぬ)を楽しんだりした。
本当に、あの頃は楽しかったなぁ。


あ。勉強も勿論ちゃんとしてましたし、保育のピアノ練習も頑張った。

生活費の為(短大用の奨学金は、何故か育ての親の祖母にほとんど吸い取られてた。私の奨学金は実家の家電などに使われてた様だ多分。なんで?一度理由を聞いたら謎の逆ギレをされたのでそれ以降聞けず、理由や使用明細は未だに闇の中。)のバイトも頑張ってた。

実習も泣きながら頑張った。
図書館通いも良くしてた。
図書館は寮に一番近かったので、しょっちゅう入り浸ったり、借りに行ったりしてた。

ピアノ棟(各部屋防音でピアノが置かれたとても狭い練習部屋が左右対に連なって25室くらい有った気がする。その先に結構大きな音楽室があり、大きなグランドピアノが前面にデンと置かれ、勉学に使う椅子机が沢山並んでた。)も、同じくらい近かった。

なので、文字通り、雨の日も雪の日も、台風の日も365日、二年間、毎日ピアノ棟に通い2~3時間は毎回練習してた。なのに「弾き語り」が上手くできるようになったのはギリ一曲くらいだった……。

両手ではすらすら弾けても、口や歌をそこに捩じ込もうとすると、途端に空中分解する……。なにアレ…。世の中の弾き語りが出来るミュージシャンまじで尊敬するし、どうやってあんなことが出来るの……訳が分からない。

実は保育園児の頃~中学生半ばまで、ずっとピアノ教室通ってたけど、全然練習しないワルイ子で、一週間の内の練習は、教室の日の下校から先生の所へ通う時間までの数時間。週に6日も練習サボってた(爆)。

それでも級とか段とかじわじわ上げてったけど、結局練習意欲の湧かない自分が情けなくて、自分のやる気を諦めて、止めてしまった。
トランペットが楽しくなってきたのも有ったけど。


トランペットは練習すれば練習するほど上達するので楽しかった。
中学上がると同時に始めて、最初は数日間か一週間程か、マウスピースでさえ
「スコーーーッッ。(悲しくなるような無音)」
状態だった。

でも、物事をコツコツ重ねることに一度填まると徹底的に入れ込むタチなので、淡々と、でも眈々と、練習を重ねた。
そしたら小学生からずっとトランペットしてた同級生の子を追い抜いて3rd.から2nd.へ、最終的には先生から1st.を指名された。

なので、それまで階級上だったその子を追い抜いた瞬間、部活内プチ意地悪が勃発したが、その子は私が淡々と練習してる間、他の子と遊んでたり練習サボってたりしてたのをよく見ていたので、
「知らんわ。ばーーーーーーーか。(練習サボりあげて何をほざく)」
とか思ってガン無視して益々眈々と練習してた。

トランペットは金管の花形。コンクール用のオケ曲は勿論、文化祭でよく選ばれる鉄板ポップスや流行りの曲で、曲の盛り上がり部分や歌メロ担当が多く、とても遣り甲斐があった。
まぁ、同時に凄い酸欠を喰らいもするのだが。

主メロや歌メロをペットで歌える事は、とても気持ちよく、そして幸せだ。
失敗できないプレッシャーも同じくらいとても重く感じたが、それは高い集中力を保った練習の量で、打ち破っていくことが出来ると知った。

ピアノは惨澹たる有り様だったが、一つ得たものが有るとすれば、ステージで本番に立つとき、本番の前の一番の緊張が高まるとき、自分を支えてくれるのは、自分が練習したあの時間と、練習に全力を捧げたあの時の自分自身なのだという事かな。

ピアノのステージはほぼほぼ緊張だったけど、トランペットの本番は、曲が始まれば自分を出せた。

そう言えば、プチ意地悪を仕掛けて来た中学時代のあの子は、いつの間にか居なくなってた気がする。よく覚えてないけど。

今でも悔やむのが、この家に引っ越しする時、祖母が高校の時買ってくれたBachの銀色のトランペットを、何故か置いてきて仕舞った事だ。もう会えない…。哀しみ。

大きな四人家族だった家から、貧乏な独り暮らしの小さな家に引っ越す時、持って行ける物は自ずと厳選して、要らぬものは割いて行かねば成らなかったのだが、何故か大切なトランペットを置き忘れて出てきて仕舞った。

他にも、CLAMPさんの漫画全部とか、皇なつきさんの漫画、SLAM DUNK全巻、幽々白書ほぼ全巻、不思議遊戯ほぼ全巻、創竜伝、プレステのソフト達、メモリーカード等々……今でもどうして置いてきたのか!!と悔やむ物が沢山有る。

とは言ってもこの家は本当に小さすぎて、持ってきていても収納は出来たのか分からないけど。


徒然と、大昔から好きだったものを思い出しながらつらつら書き連ねていたら、風呂敷が広がりすぎた。

今度は、好きだったもの、その時の世代別ジャンル別に上げていって懐かしんでみたいけど、絶対カルチャー全域にとっ散らかる。
漫画やら小説やら音楽やらゲームやら、飛んで身近な出来事やら。目に見えるわぁ。

まぁ、自分がいろいろ振り返りたかった、思い出したかったってコトで。
取り敢えず、〆。

ひまつぶしに、お香の話。

眠れたのは明るくなってからと言う。。。
ごみの日なのに出せなくて(出す時間帯に爆睡してて)軽く凹む…。アラーム気付かなかったし…。

そして夕方近くやっと起き上がれた。
お香を焚きながら目覚ましコーヒーを飲んでる。

元気な頃はアロマが好きだった、と言うか、実益として安らぎとか、リラックスとか、安眠とかの気持ち良さを求めて、良く焚いてた。

純正オイルなら、お高いけど本当に心や心身に良き効果が有ったから、その日その時の気分に合わせて色々なアロマを焚いてた。

ユーカリ、ヒノキ、ラベンダー、が癒されて、特に好きだった
柚子、グレープフルーツ、バラ、等は気分を温めたい時。
あと、バラはPMS(「月経前症候群」。生理前に不調をきたす症状)を和らげてくれる。

元気な頃からPMSは毎回結構強めの症状出てたけど、病気に成ってからはかなり悪化した。私の場合は特に精神面に強く出る…。

話が少しそれた…

まぁ、働いて居た頃は当たり前に自由に使えるお金が有ったから、一応大黒柱だけど生活費節約して、趣味も厳選したものだけを毎回購入して、楽しめてた。元気な頃は。

今は働けなくて生保のお世話を頂いてるから、純正アロマオイルは買えない。
インド香等の安いお香をちまちま購入して、焚いて楽しんでる。
所謂「六角香」と言われる、30㎝程の筒状で六角柱の形をした厚紙のパッケージのやつ。約20本入りで100円。コスパ良好。

今日の一発目はコーン形のフランキンセンスのお香。HEMの10個入り100円。安いけど、心安らぐ甘い香り。

甘いと言っても樹脂系の天然の甘さなので、アジア雑貨店とかに漂う、ココナッツ系やバニラ系の香りではなくて。温かく包み込まれるような安心感。

ココナッツやバニラ系の人工的な香りは、私の鼻は全力で拒否をする。(ごめんね。)
飲み物やスイーツのバニラ味とかは大好き。

二個目は、RATHNAM'S の、GOLD FLORA 。所謂マサラ香なのだけど、こちらも天然の樹脂の香りをベースに、The お寺さんの香り「伽羅」の様な心地よいほろ苦さが仄かに混じって漂う。GOLDの名に相応しい香り。

お家は狭いので、両側の窓を開けても下手すると部屋が煙る煙る。私は燻製品か。
なので、気温が下がって窓を閉めるので、今日はもうお香はお仕舞い。

とは言え寝室は別室で直接冷えた風が当たらないから、ユーカリのお香を焚き染めてる。
アロマほどじゃないけど、スースーした清涼感が程好くて、ミントほどパンチは効かしてないので調度良い、心安らぐ清涼感。

よし、ひまが潰れた。

眠れない。

健康管理のために午前0時を跨ぐ前には眠るのが理想なのだけど、午前1時に成って仕舞った。本当の本当の理想は22時には寝たい。

眠る前に飲む眠剤やその他もろもろの薬も、今日も効かない。眠れない。そして4時に成って仕舞った。

台風が近付いて来てうろうろしていた1週間前は、毎日22時間睡眠でも、起き上がるのがやっとだったのに。
あれだけ瞼も体も眠ダルかったのに。


……連続で眠り続けた日々が明けると、いつも反発するように、

「何で私は起きて居られないんだ!私は起きていたいのに!」

と言う風な鬱憤?…溜まったように爆発するのか、眠れない日が続く。
偏ってバランスが上手く取れない。
なんでだろうねぇ?

はじめ。

季節の変わり目は、大概調子が宜しくない。
ので、今日も、もう疲れた。

起きたのは、昼過ぎ?14時過ぎ?だったっけな、なのにな。もうしんどい。

最近の季節の変わり目は、そう不調が訪れて来なかった。いや、来てくれて居ないでくれたのか。と思う。

調子、良かったんだなぁ、わたし。………。



家の窓沿いは、中学生の通学路。私も彼処の卒業生。
今のあの子達はよく歌う。
登校中も、下校中も。

唱歌?流行りの曲。ヒット作品の主題歌。自作の歌?よくわからないけど八割方拍手のハモり。謎の合唱ファルセット。

青春真っ只中やね。
凄い、何でみんなあんなに歌えるんだろう、男の子も、女の子も。
それはそれは、みんなしあわせそうに歌うんだ。
青春を謳歌して居る。文字通りを彼ら彼女らは。

……彼らが大人に成ったとき、独りに成って仕舞ったと感じたとき、この事をこの時をどうか思い出して欲しいと、いつもいつも、みんなの歌を聴きながら願ってる。想ってる。

一年とちょっと前は、米津さんのレモンを、よく聴いた。
この一年は、やはりと言うか、「鬼滅の刃」の紅蓮華。
その他もろもろ、色んなジャンルの歌を歌う。

10人近くで合唱してたり。
二三人で仲良く歌ってたり。
一人で歌ったり。
おそらくチャリで疾走しながら耳にイヤホン突っ込んで、一人熱唱しながら走り去ったり。

最近は何かの合唱曲のハモりが多い。
練習中?とは言え、全力で、全身全霊で歌ってるから、とても声がキラキラして聴こえる。

薄暗くなると、小さな声で、でも楽しそうに歌っているのが可愛らしい。

もう、音楽の先生、情操教育関連に関わる先生がどんな方々かちょっと気になる程。笑。
あんなに毎日、楽しそうに嬉しそうに歌われたらさ。

みんなが幸せそうで私も嬉しい。でも、ほんとうに辛い子は、無言だろう。
私の窓の前を通る子も。
孤独な子も、悲しい子も、苦しい子も、つらい子も、みんな無言だろう。

私には聴こえない声を上げる子、
君もどうか幸せで在って欲しいと願ってる。

私も見ず知らずの沢山の人に、幸せを願われたんだろうな。
未来からの声が、沢山の声が、今に成り聴こえる。

秋の夕暮れは、すべてのものが、懐かしくなる。
郷愁のような。